自分メモ的興味津々映画/「Humpday」

2009/11/08 Sun
先頃某英国映画雑誌「EMPIRE」を立ち読みしておりまして見かけたタイトル「Humpday」なる作品が、ただいま気になって仕方ありません。

ポスターがあるのですがそんなに見た目麗しくないので、ちょっと下の方に置いておきます(ひでー)

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内容はと申しますと、絵的に見てもお分かりの通り、既に若くない大学時代の親友おっさん2人組(1人は既婚者)が、酔った勢いでアマチュアポルノ映画祭に作品を出品しよう!しかもゲイポルノ映画で!と思いつき、何とかそれを実行に移そうとする、てなものだそうでございます。

作りとしてはコメディらしいのですが、その計画を軸にしながら何やら真剣に2人の関係を(そういう←どういう 意味ではなく)振り返り議論したり、一方ではじゃあいくぞ!3、2、1!と勢いつけてなにやらもにゃもにゃ、という場面があったりと、とんでもない思いつきをしてしまった彼らの行動をおもしろおかしくドタバタ劇として描写するだけではなく、しかしいい意味で笑いは含まれつつ、時として友情を越えているのではないかと思われるような男性特有の(?)友愛感情を描き出しているようで、大変に興味をそそられております。

日本ではまず一般公開はおろかDVDにもならなさそうですが(…)もしもどこかで国内にて日の目を見ますよ、という情報など仕入れた方がいらっしゃったら、一言お寄せいただければ幸いでございます。


予告編しかないのですが、その予告編が妙に可愛らしくてうっかり通ってしまう公式サイト

映画版はロブ・マーシャル版なのか!/「シカゴ」

2009/11/08 Sun
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2002年に映画化され、その年のアカデミー賞を席巻しましたでお馴染み(そしてこんなところでこっそり言ってよろしいものか、ですが、こちらにありがたくもよくコメントをくださいますA黒S子様もお気に入りと聞き及んでおります)ミュージカル「シカゴ」が、つい最近まで来日公演されておりましたので、せっかく行ける場所でやっているしねということで足を運んでまいりました。

ボブ・フォッシー振り付けによるロングラン作品であるということは知っていたものの、先に映画版の方を見てしまっておりましたので、オーケストラバンドがほぼ舞台の全面に配置されセットらしいセットがなく、役者がわずかな舞台前方の「隙間」部分でダンスを繰り広げる、という演出に最初戸惑ったのですが、見ている間に舞台の広さなど関係なく、フォッシーの、というより今回は彼の門下生(?)であるアン・ラインキングの凄まじく高度な振り付けを、それさえ感じさせぬように流麗に艶めかしく踊る、ほぼ下着姿のセキシー男女にすっかり魅了されてしまいましてございます。

当然セリフは字幕付きとはいえ全編英語でして、まあ細かいニュアンスなどはさっぱり分からないのですが、にも関わらずアタシ殺人犯して有名になったの!と有頂天になる主役のロキシーちゃんがえらいことキュートでございました。
映画版の方ではレニー・セルヴィガーちゃん演じるロキシー嬢は、地味だという印象以外とりたててキュートとは感じなかったなあとここへきてふと思い返し、改めてDVDを再鑑賞してみましたところ、演出はもちろんのこと、振り付け自体も監督でまた舞台演出家でもあるロブ・マーシャル仕様の「シカゴ」となっていたのだね!とようやっと気づき驚いた次第でございます。(お前今更かよ、という観劇済みの皆様のあきれ顔が目に見えるような)

舞台版のシンプルさとは大きく異なり、色に溢れ話も整然とし、けばけばしくも華やかで「映像」の利点を様々生かした演出なので見ている分にはなんの違和感もないのでございますが、それは私めが単に先に映画を見たからであって、「フォッシーのダンス」があるという事を前提にし、本作の鑑賞に臨んだ人がいたらばこの作品は「期待に応えていた」とは言い難かったのではなかろうかい、などと余計なことを考えてしまいましたのことよ。

脚本が「ゴッド・アンド・モンスター」の何だか間接的エロチック描写で見ているこちらをドキドキさせた(そうか?)ビル・コンドンだからなのか個人的な思いこみなのか、やや同性愛的な要素も匂わせていた映画版ですが、恐らく私含めて初観劇の輩の度肝をもれなく抜いたメアリー・サンシャイン女史の「あの」描写を削ったのは、かなり思い切った決断だったと思いましてございます。

「The Tudors」の始まり始まり

2009/10/04 Sun
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大変に今更ですが、先頃の連休で某福井県は永平寺だの東尋坊など芦原温泉などに行って命の洗濯をしてまいりました。
芦原温泉では予約したホテルは勿論でございますが、提携しているお宿で無料にて温泉入浴し放題という、温泉を娯楽として勝負している観光地の本気を見ておけ!的な出血大サービスを目の当たりにし、温泉旅行が趣味という方々の気持ちを多少なりとも理解した私でございます。




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さてこれまた既に情報を知っている方には今更ですが、CS AXNミステリにて11月から本放送が開始される「The Tudors」がプレミア放送されました。

クリスチャンと「ベルベット・ゴールドマイン」で(一応)共演し、わあ英国ってこんな美形の隠し球をまだ持っていたんだ、と当時私含め様々なお嬢様方を驚かせたジョナサン・リース・マイヤーズ君が大変男らしく成長し、なんとあのヘンリー8世を演じる、という簡単な前情報を何年か前にEntertainment Weekly誌だかで読んで仕入れてはいたのですが、日本で日の目を見ると知ったのはつい一昨日くらい(おい…)てな相変わらずの体たらくでございました。

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ドラマが吹き替え番のみの放送なので生声を聞いていないのですが、相変わらずあの若干小生意気なツンツンした喋り方なのかしら。

私自身は、ヘンリー8世と彼を取り巻く人々や状況について、「我が命尽きるとも」だの「1000日のアン」だのグラナダTV制作のミニシリーズ「ヘンリー8世」といった映画やら、シェイクスピアの戯曲でしか知り及んでおりませんで、お前何のために高校時代世界史を専攻したんだと自らにツッコミを入れる位「正しい歴史」に対する知識がなく、本作で描かれるヘンリーの人となりや様々な出来事がどこまで正史に沿っているのか等の比較もできないわけですが、他の作品と並べて見ても、従来の国王像よりも遙かに若くしかも美しく、若さ故か血気盛んで性急に跡継ぎを求めるじょなりーことジョナサン・リース・マイヤーズ君のヘンリー8世というのは、かなり大胆な解釈なのではないかと感じた次第でございます。
その「若さ」がまた、彼を利用しようとする者や諫めようとする者、疎ましく思う者の行動心理とうまく相まっておりまして、お話の面白さよりも人物描写が深まっていくことに期待し、また別の映画で目にした出来事や人物が登場してこれはあの時の!とその都度思い出し、改めてチューダー朝の歴史に触れていくぜと思いましてございます。
ドラマ本編はなんだかんだ申しましても昼ドラのような雰囲気漂う部分が多々ありますので、多分かなり脚色された知識を深めていくばかりになるとは思いますが。

イギリスが舞台のドラマなので当然キャストは英国人だらけの水泳大会なので、そんな地味派手出演者勢揃いを堪能するのも本作の楽しみでございます。

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↑第1話を見る限りではヘンリーに多大なる負の影響を与えそうな野心満々の枢機卿ウルジーを演じるサム・ニールさんが、吹替の声質もあってか初老飛び越えて一気におじいさまになってしまったような印象なのですが、これはきっと演技力のお陰なのだと思いたい。

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↑ヘンリー8世役のじょなりー以外にも若くてべっぴんさんな俳優さん(←女優さんは?)がわんさか登場しますがそれはおいといて、個人的に第1話で最も色めき立ったのは、冒頭で登場したヘンリーの叔父役ショーン・パートウィー氏のお姿を拝見した時でした。キャー!
が、狂喜乱舞醒めやらぬうちにいきなり暗殺されてしまい、初手から天国と地獄を一気に味わった私め。

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↑そしてマイナーなところでは、ヘンリー暗殺を密かにもくろむバッキンガム役のスティーブン・ウォーディントンが、かつてデレク・ジャーマン監督の「エドワードII」でエドワード2世役を演じていたということを知っている輩は、このキャスティングにちょっとにやりとすべきなのかしら。(ところでミステリチャンネルの本作の画像ページでは、思いっきり彼の行く末が分かってしまうスチールが公開されているのですがいいのかあれ)

ちなみに本国では既に3シーズン目に突入していているそうで、ミニシリーズ扱いじゃなかったのかと失礼ながらべっくらしたのですが、最新シーズンではマックス・フォン・シドーが出演陣に参加されるようなので、ぜひ国内でも順調に全シーズンが放送されて欲しいものでございます。「超感覚刑事/ザ・センチネル」みたいに途中で終わらないでな…!よそのチャンネルの話だけど…!

これが「キャラ愛」というものか「ウルヴァリン」と「G.I.ジョー」

2009/09/17 Thu
突然ですが私め、映画に目覚めそこそこ見る本数を重ねてようやく、映画で重要なのは何よりも物語であり脚本であり、その後に演出や役者の演技、そして監督の作品にかける情熱を「おまけ」として評価するべきなのだと思うようになってまいりました。

ゆえにいくら好きな役者が出演していようと監督がそれまで素晴らしい作品を何本生み出していようと、まず「物語」がきちんと成立していなければ意味がない、という姿勢でもって映画を鑑賞しておりまして、いわゆる「萌え」的なものを評価の中心にするのはどうよ、などと今までのクリスチャン・ベール出演作に対するミーハー極まりないおのれを棚に上げて考えていたのですが

この度鑑賞した「ウルヴァリン/X-MEN ZERO」「G.I.ジョー」でもって、キャラクターが全てのマイナス面を好評価に変えてしまうことがあるのだと気づきましてございます。



<そんなわけで今回も盛大にネタバレかましをした上での感想となっておりますので、よろしくよしなに>

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「ウルヴァリン」につきましては私め、ヒュー・ジャックマン兄貴が同役を演じている一連の「X-MEN」シリーズ特に1作目の疎外されたミュータントの描き方が、TV画面で見れば(←おい…)大変に胸に迫るものがあり見応えがあると感じて以来好感を持ちつつ、3作目の全くドラマが面白くもない展開に相反するシリーズ屈指のアクションシーンも捨てがたし、などという複雑な感情を抱いておりましたので、さて今回はどちらよりの作りなのかとそんな興味を抱いて見てまいりました。
お話そのものがどうだったかといえば、映像的な説明不足を全てセリフで処理してしまう安易さ、各々の場面の切迫感やハラハラする盛り上がりどころのなさ(ストライカーさんの基地のあの警備体制の薄さは何なんだ)加えて当然今回は1人主役体制なので他者との交流や心情がより濃密に描かれてはいるものの、なぜか初期シリーズほど心を寄せられぬ悩めるウルヴァリンと、どうにも主軸の「ウルヴァリン」誕生秘話が冗長に感じられるちう致命的な欠点があるのですが、映画版の1作目に繋がる布石はいくつか用意されていてほほう、と思うところあり、パンフにも書かれていた、ほぼゲスト的な扱いなのに他のどのシリーズよりも自分の能力を有効活用しているサイクロップス=スコット・サマーズ君の大活躍、そしてここから怒濤のミーハー鑑賞眼での感想を書かせていただきますが、後のウルヴァリンことローガンの兄、リーヴ・シュライヴァー氏演じるヴィクター(セイバートゥースという通り名は、劇中では一度も呼ばれませんで)と、原作でも大人気でお馴染みギャンブラーな爆弾魔(違)ガンビットが予想以上に私の心をとらえてくださいまして。

本作鑑賞同行者の中ではヴィクターさん別にいらんじゃろ、というご意見もありましたし、また実際本編中でも彼の役割が曖昧なので結局彼自身が何を目的に行動しているのかさっぱり見えてこないのですが、袂を分かちながらも実の弟であるローガンの事が気になって仕方がないのでちょっかいかけてます、ちうのが行動原理の元になっているとするならば全て納得できますよレディースアンドジェントルメン。

散々弟を愚弄するような行為をしてむしろ自分を殺せといわんばかりなのに、ちょいとローガンが情けを見せた途端に敵にやられかけた彼を救って一言

「お前を殺すのは俺だ」

なんですかその一昔前の少年漫画の主役のライバルのよなセリフは…!
(いや実際そんな役回りだけど)

相対する2人がかつての絆(?)を思い出し、共闘するというクライマックスにも大変心が熱くなりましたが、その後最後通告をしてお前とはもうこれっきりだというローガンに、いや俺ら兄弟には切っても切れない絆があるから★と再会する来満々で消える兄さんの姿も最高でございました。

ヒュー兄貴と並ぶ長身としもぶくれフェイス(←この場合褒め言葉)ににょきりと八重歯めいた牙を見せて笑い、時に咆哮しながら何でか戦う時はでかいガタイで四つんばい走り、最大の攻撃がひっかき技、演じているのが今までそんなに作り込んだキャラクターを演じていなかったリーヴ・シュライヴァー氏と、役者の技術と相まって(?)セイバートゥース兄貴万歳!本作の最大の収穫は彼でした!とまで思っております。
まったくどうでもいいことですが、ヒュー兄貴とリーヴさん、そういや今回とは全く趣の異なる「ニューヨークの恋人」で、逆に友情を芽生えさせる役柄で共演していたんですよね…

ガンビットさんに関しましては、あともう少しお顔周りの肉が削げていればとは思いましたし(失礼な)セイバートゥース兄ほど明確な活躍シーンはなかったのですが、これまた久しぶりに見ましたよと感じる位の絵に描いたようなキザな人物像とやはり見目に麗しいトランプカード爆弾の使い方、そして危機に陥ったローガンを救った際の一言(こう思い返すと、ローガンさんずいぶんと人様に助けられてますな…)

「待った?(miss me?)←超訳」

なんですかそのキザ極まりないセリフは…!




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長くなってしまったのと、そこまで細かく書くこともないので(おい)ちょいとさっくり感想になりますが、「G.I.ジョー」はひたすらにスタッフと出演者の、現場での楽しさが伝わってくるような、非常ににこにこできる映画でした。
特撮ものとアメコミものの見せ場だけを抽出したよな内容なのですが、それでも友情・仲間愛・恋愛が、クライマックス以外は(…)一瞬も落ちぬテンションでアクションの隙間に適度に展開され、少なくとも見終わったら誰か1人位は登場人物を好きになることができるのでございます。
主役側悪役側共におまぬけさん揃いなのですが、それがかえって彼らに対する好感度に繋がる、という珍しい現象が起きております。こんなかわいい彼らに、また続編で会いたい!と願わずにはいられません。
キャラクターにも感情移入できず、見るべきところはアクションのみ、そのアクションさえ画面作りが荒くて何をしているのか分かりませぬという某トランスなフォーマーを作った誰かさんに見せてやりたい…!(毒暴言)

夏の終わりの演劇鑑賞「ダンス・オブ・ヴァンパイア」など

2009/08/31 Mon
今更ではありますが、拍手コメントお寄せくださる方々、本当にありがとうございます。
自分でも誰に対して書いてるんだよ、と思うような支離滅裂な作品感想などに対してご意見いただけますと、それだけでも本当に励みになります! 時折本当に誰にも分からないような呟きを書いていることもありますが、今後とも心大きくお付き合いいただければ幸いです。




実に久しぶりにTV放送されている「ペイチェック」をちょいと鑑賞してみましたが、初見時にも感じたベン・アフレック兄さんの「天才でボンクラ」ぶりと「封筒に入った秘密道具の使い方」に抱腹絶倒でございます。(褒めてます)

ついでにといってはあまりにも何ですが、奇遇にもポール・ニューマンご逝去1周年(以上)ということで、以前BS放映されていた「傷だらけの栄光」などを鑑賞いたしました。
ええ、過去の作品に対して意見するのはあまりにもおこがましいとは思うのですが、自身が近年急激に年をとったせいでございましょうか、「誤った道を進んでも最後にはおのれの才能によって全てが赦される」的なドラマにそれほど共感できなくなっていることに自分でも愕然といたしました。
何かしら、ニューマン様演じるロッキー・グラジアーノはつまりボクサーとしての才能と周りの誠意に救われましたが、サル・ミネオ(←彼はどうしてこう世間からのつまはじきもの役が似合ってしまうのか)扮する彼の不良仲間のような、才能もなく世間からも隠れていきねばならぬ身の輩は、再出発することもままならない、そのよな現実をむしろどうすりゃいいのさと思ってしまってなりません。要はおのれの努力が足りぬからだということなのかもしれませんが。
同じ「負け犬」状態でも、その底辺でもってひたすら反抗心をむき出しにする「暴力脱獄」には心を寄せられるのですがねい… 自身の寛容精神のなさを思い知らされたニューマン様祭り(?)でございました。




さて、夏も過ぎ去ろうという今日この頃ですが、私めこの度冬に続きまして本格派ミュージカル鑑賞として「ダンス・オブ・ヴァンパイア」(←訪れるとうっかり見たくなってしまう小ネタ満載な公式サイトが恐ろしい)など観劇してまいりました。
なにしろ新人のお披露目だとか小劇団による出し物ではない、まとも(おい)なミュージカルというものを経験するのは某「エリザベート」以来でしたので、何の予備知識もないまま前述の作品と同様のものを念頭に置いて初観劇に臨んでしまい、大変な衝撃を受けた次第でございます。

ご存じの方もいらっしゃるかとは思いますが、本作ロマン・ポランスキーの若き(?)日の監督作品「吸血鬼」を下敷きにミュージカルとして再構築されたものでございまして、私め恥ずかしながら未だ原典の映画を見ていないのですが、古今東西の吸血鬼もののパロディ映画だとのことで。
当然お芝居の方もその精神を受け継いでいるので、つまりは「全力でバカをやる」内容なのでございますが、初見時はその意図が分からず、これを帝●劇場で上演してもいいものなのかしら、などと素人丸出しのにわか識者思考で思ってしまったのですが、恐ろしいもので(?)2回鑑賞するとその楽しみ方が理解できると申しましょうか。
先述したようにミュージカルや演劇界において高評価を得ている方々が、その枠から思い切りはみ出て、しかし自身のプロフェッショナルとしての技に対しては一切の手抜きなく演じている様を見られるのはむしろ貴重で、感激すら覚えるほどでございます。
(私め、秋にこれまた初めて「レ・ミゼラブル」の日本版公演を感激するのですが、ジャン・バルジャンを演じる石川禅氏をもはやまともな鑑賞眼で見ることができません…)

音楽に関しても全くもって無知で情けない限りですが、本作の作曲者ジム・スタインマンがかのザッツ80年代アクション映画「ストリート・オブ・ファイヤー」の主題歌である「今夜は青春」(うわ〜)こと「Tonight Is What It Means To Be Young」も手掛けた方だとはとんと知りませんで、要所で使用されているこの曲に、わあ使用料どれだけかかったのかしら、とかとてつもなく下世話なことまで考えてしまっておりました。
クラシカルな楽曲が多い中この歌の曲調はとてつもなく斬新というか異色なものですが、それが逆に大仰なミュージカルを覆す、という意識的な計らいのようにも思えまして、クライマックスでは文字通り大盛り上がりでございました。